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川口遺跡は、天塩町市街より北西へ1.5km、日本海に沿って南流する天塩川左岸の標高5~10mの砂丘上に位置しており、擦文時代の集落跡を中心に、オホーツク文化期、縄文時代、続縄文時代、アイヌ文化期などの多時期に渡る貴重な文化遺産が遺されています。昭和39年からと昭和53年からの2期に渡る調査で、幅200mm、長さ約1.5knの範囲にわたって230基もの竪穴住居が確認され、その大きさは最大のもので11m×9m、最小のものでは0.7m×0.7mでした。
この川口遺跡の竪穴住居は、今から約2,200年ほど前の続縄文時代に集落の形成からはじまり、その後、約1,500年ほど前からはじまる擦文時代になると竪穴住居の数は急増しました。町では、この貴重な文化遺産を保存し、後世に伝えるため昭和61年度に擦文時代の竪穴住居3基を復元しましたが、その後住居跡から考えられるデータを元に、より当時に近い竪穴住居を平成13年から毎年1基ずつ改修しました。
川口遺跡竪穴住居の最大の特徴は、発掘データに基づきその直上に遺構を保護しながら復元展示していることです。この本来の遺跡の上に住居を復元することは様々な点で重要な意味を持ち、川口遺跡は学術的価値と遺跡の景観を有しています。
天塩川は、士別市から天塩町にかけて流れる、本流の長さ256kmに及ぶ全国4位の川です。北見山地の天塩岳を水源とし、北へ向かって流れており、名寄川、問寒別川等の支流と合流しながら天塩町にて日本海へと流れ込みます。名前の由来は、アイヌ語の「テッシ・オ・ペッ」(簗のような岩が多い川)と呼ばれており、独自の景観を持つ天塩川は、平成16年に北海道遺産に登録されました。天塩町のある、天塩川河口付近では、サケ・マス漁のほか、天塩町特産品であるシジミ漁が盛んに行われております。また手付かずの豊かな自然が多く、天然記念物のオジロワシ、オオヒシクイ等の渡り鳥が飛来し、釣り人から人気の高い幻の魚イトウの聖地とも言われています。天塩川は火口から158kmまでの区間で、川を横切る障害物がないことから、カヌーの適地としても知られ、上流から河口までの間を下るカヌーツーリング大会「ダウン・ザ・テッシ-オ-ペッ」が開催されています。